Church Lectures

聖書―キリスト者としてどう読むか

更新日:2022.07.30

関川泰寛

1 聖書とは

聖書は、旧約聖書39巻、新約聖書27巻あわせて66巻からなるキリスト教の正典(カノン)です。旧約聖書は、古代イスラエルの歴史の中で書かれた諸文書の集成で、元来はユダヤ教の聖典でした。キリスト教はユダヤ教の聖典を引き継ぎながら、1世紀半ばから二世紀初頭に成立した固有の文書を生み出しました。それが新約聖書です。イスラエルの歴史を導き、その民に約束を与えた神が、御子イエス・キリストをこの世界に遣わし、決定的な仕方で、その約束を実現して下さったことを伝えるためです。

19世紀以降、聖書の歴史批評的な研究が盛んになると、聖書もまた古典の一つであり、それが書かれた歴史に制約された文書であると考えられるようになりました。そのために聖書の歴史的な信憑性に疑問を持つ人々が出てきました。とりわけキリスト教の歴史の浅いわたしたちの国では、一部の「聖書学者」が、聖書の「学問的」研究こそが、教会の誤った権威から読者を解放し、教会の教理や神学によってねじ曲げられてしまった歴史上のイエスの姿を明らかにすると主張しました。

さらに、ある人々は、新約正典27巻の成立は、古代末期の「正統教会」が自己の権威を守り、その正統性を確立するという目的のためであったと主張します。このような立場から、しかもそのような目的を否定的に評価すると、聖書は、教会の定めた信仰告白の権威からも、また正典という考え方そのものからも解き放たれて、歴史のイエスの「真正な」言葉にのみ耳を傾け、さらにその言葉を語られた歴史のイエスに従うことが救済の道であるということになります。このような考え方は、一見「教理」からも教会の「権威」からも自由なように見えますが、かえって自分たちの恣意的な救済論を前提として聖書を理解することになります。

わたしたちは、聖書の学問研究そのものを恐れたり忌避したりする必要はまったくありません。ただ、上述のような学問の仮説の提示が、教会が代々示してきた聖書の理解や聖書が生ける神の言葉であるという教会の確信をいささかも揺るがすものではないことも同時に知っていなければなりません。

わたしたちの教会は、次のような聖書の理解に立っています。第一にわたしたちは、聖書は、特定の時代に書かれた「人間の言葉」であるということを承認します。他の古典と同じように一定の歴史状況の中で、時代の環境の制約を受けて成立したものです。しかし、同時に聖書は科学的な知識を伝達する書物でもなければ、歴史的な情報を伝える書物でもなく、神の救いの出来事を証言し、イエス・キリストにおいて御自身を啓示されたことを喜びのうちに告げ知らせる書物、その意味では神の言葉であると確信します。第二に、聖書は、さまざまな著者によって書かれ、個々の文書の成立以前には固有の口頭伝承の集成が存在し、それぞれ生活の座を持っているゆえに、多様な思想や神学が満ちています。にもかかわらず、聖書はイエス・キリストという歴史的な人格において、絶対者であり超越者である神が御自身を啓示し、しかも御子の生涯と死と復活を通して人間を救済へと導いて下さったことを証言する点では、統一性をもっています。この多様性と統一性の承認が、聖書の理解の出発点です。第三に、聖書は、「すべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」(テモテへの手紙(二)3:16)と記されているように、人間によって書き記されたものですが、同時に代々の教会はそれらが神の導きによってなされたものであることを信じます。そして、わたしたちキリスト者の生活を義に導くための規範となります。第四に、わたしたちは、いわゆる聖書主義の立場や逐語霊感説(ファンダメンタリズム)の立場は取りません。聖書は、わたしたちの教会が拠ってたつところの信仰告白を規範する規範です。換言すれば、聖書と信仰告白を規準として教会の信仰と制度はつくられていきます。この意味で、聖書は教会において説教されることによって、聖霊の働きを受けて、神の言葉となります。

 

2 旧約聖書とは

旧約聖書は、英語ではThe Old Testamentと言いますが、このTestamentは、ラテン語のtestamentum に由来し、遡れば、ギリシア語のdiatheke (「契約」「約束」)となり、この語は「遺言」や「最後の意志」という意味まで包含していました。つまり、旧約聖書とは、新約聖書において明らかになる神の最終的な意志が、イスラエルの歴史において、告知され、預言されている書物の総称ということになりましょう。

旧約聖書の目次を見てくださると、そこには創世記から始まって、マラキ書に至るまで、主としてヘブライ語で書かれた多様な文書が収められていることに気づきます。これらは、古代イスラエルの歴史の中で、その歴史を背景として成立してきた文書です。それゆえに、神の言葉として読まれながら、近代の歴史批評的研究によって、時代の思想や背景の刻印を深く受けていると考えられるようになりました。

例えば、創世記から始まり申命記に至る五つの書物は、伝統的にはモーセによって書かれたとされ、「モーセ五書」と呼ばれてきました。しかし、近代旧約聖書学によれば、「モーセ五書」はモーセが直接書いたものではなく、古い時代の口伝伝承からJ, D. P. Eなどと後に名付けられる資料が形成され、さらに長い編纂の過程を経て、成立したものであることが仮説として、受け入れられるようになります。つまり、旧約聖書諸文書は、特定の人物の手によって書かれたものではなく、口伝の担い手、その文書化の当事者、さらには文書資料の編集者という風に、多くの人々の手から成るものなのです。

かくして旧約聖書各文書は、それぞれ固有の文書の成立を促した「生活の座」があり、その背景の下に確かに人間が叙述したものであるということになります。

わたしたちキリスト者は、そのような聖書諸文書成立の仮説を大方認めても、なお聖書が神の言葉あるいは神の言葉の証言であるとの確信を失いません。なぜなら、聖書諸文書は時代に制約された人間の言葉でありながら、歴史に働きかけ、世界に介入した神ご自身の救いの出来事を伝え、啓示を証言するとキリスト教では考えられているからです。

言いかえれば、旧約聖書成立には、多数の人間が関わったゆえに、その思想内容や神学さらに叙述の方法の多様性が認められますが、この多様性の中に、旧約聖書の統一性をどう読みとっていくのかが、わたしたちの重要な課題となります。

 

3 旧約聖書の諸文書と歴史的背景

歴史以前  天地創造物語 [創世記1~11章]

BC16世紀 族長物語(アブラハム・イサク・ヤコブ) [創世記12~50章]

BC13世紀 出エジプト [出エジプト記]

BC12世紀 カナン侵入と定住 [民数記~ヨシュア記] 

BC11世紀 部族連合の形成 [士師記]

BC11~10世紀  統一王国時代(サウル・ダビデ・ソロモン) [サムエル記]

BC922年 ソロモンの死 ⇒ 王国の分裂(北イスラエル・南ユダ) [列王記~歴代誌] 

BC722年 北イスラエルの滅亡

BC586年 南ユダの滅亡 バビロン捕囚] 

BC6~5世紀 捕囚からの帰還と神殿の再建 [エズラ・ネヘミヤ記]

上に掲げた古代イスラエルの略年表は、イスラエル史のどの時代が、どの文書に描かれているかを示すとともに、Ⅰ~Ⅲの三つの時期に、旧約聖書の諸文書が、集中して書かれた事実をもまた表しています。ここから、わかることは、旧約聖書諸文書が主として古代イスラエルにおける危機と崩壊の時代に、生み出されたという事実です。左近淑という旧約学者は、「旧約聖書は、崩壊期の思想である」と性格づけたほどです。

つまり、古代地中海世界の東の端に位置するパレスチナが、東西の交通の要衝であるゆえに、大国の支配と侵略を繰り返しうけ、そのために国土の荒廃と民族の危機に直面しながら、なお主なる神ヤハウェの信仰を保ちつづける民の一種の信仰告白が、旧約聖書そのものを特色づける重要な性格なのです。あわせて、神の約束を信じている民が、何ゆえこのような大きな苦難を経験するのかという神義論的問いが、旧約聖書の大きな主題となっている点も見逃すことはできません。

従って、創世記から出エジプト記へと読み進めていく場合、アブラハムに与えられた土地取得と子孫の繁栄という神の約束(創世記12章)が、歴史の苦難と悲哀を経験し続ける民の中に、どのように実現し、成就していくかが旧約聖書の叙述の重要な部分を占めることになります。その際、旧約聖書は、アダムの堕罪物語(創世記2~3章)に示されているように、人間存在を神から離反していく罪あるものとして描きます。そこには、イスラエルの民を理想化したり、罪の現実を覆い隠す叙述は見られません。徹底して、歴史の中で右往左往しつつ、神と人とに対して、罪を犯しつづける人間の姿が冷徹に描かれます。従って、旧約聖書の中に、人間の生き方の指針や道徳的教説を期待すると、ただちにその期待は裏切られることになります。

しかし、わたしたちが、旧約聖書の叙述の背後にある「神の約束」「人間の罪と救い」「歴史と終末の意味」「神の愛」など神学的な主題に目を向けるならば、遠い過去のイスラエルの歴史が、わたしたち人間の現実と深くかかわるものであることを知らされます。

 

 創世記の天地創造物語を読む

創世記の冒頭1~3章には、良く知られた天地創造物語が描かれています。この個所を注意深く読んで見ると、1章1節では、「神は天地を創造された」と訳されていますが、2章4節b以下では、「主なる神」となっていることに気付きます。日本語でこのように訳し変えているのは、言語のヘブライ語が、異なった言葉を神名に用いているからです。すなわち、「神」は「エロヒーム」の訳語であり、「主なる神」は「ヤハウェ」の訳語なのです。

ここから、旧約学者たちは、1章の創造物語と2章の創造物語は、元来異なった時代に、異なった人々によってかかれた別々のものであると推測するようになりました。

結論だけを言えば、1章~2章4aは、紀元前6世紀の捕囚期前後に書かれた「祭司資料」(P)に属する文書(つまり前掲の年表で言うとⅢの時期に書かれた文書の一つ)と考えられ、2章4b以下は、王国時代に成立したヤハウィスト文書(J)(Ⅰの時期に書かれたもの)とみなされます。このように、創世記は、異なった時代に書かれた資料の集成であり、それぞれの文書の多様性とともに、創世記という表題で一つに編纂された統一性を包含していることになります。

「神は言われた。『光あれ』こうして、光があった」(1章3節)。何気ない記述ですが、ここには、旧約聖書全体を貫く主題が示されています。つまり、神は「光あれ」と言葉を発するだけで、光という存在を生み出します。旧約聖書では、神の言葉と存在は表裏一体のもので、切り離すことができないものです。新約聖書ヨハネによる福音書1章1節以下には、「初めに言があった。言は神と共にあった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」とあります。

神の言葉は、出来事になることによって、知られます。この出来事となった言葉によって、神の御意志がわたしたち人間に明かにされます。旧約聖書が、出エジプトの出来事をはじめとする歴史の出来事を詳細にわたって描くのも、言葉が出来事になった事実を伝えるためです。新約聖書では、主イエス・キリストの生涯、死と復活の出来事こそ、神の言の出来事であるととらえるに至ります。

さて、神は6日間かけて、森羅万象を創造します(創世記1章)。光と闇、水と大空、海と陸地、そこにある動植物、天体、そして、最後に人間を創造します。創世記1章26~27節には、神は「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」と言われ、さらに「神は御自分にかたどって人を創造された」と記されています。しかも、27節には、神は人を「男と女に創造された」と述べています。

人間が神のかたちに創造されたとは、どのような意味なのかいついては長い間色々な見解が提示されてきました。時にはイマゴ・デイ論争とも呼ばれるように、この一句をめぐる解釈の相違は、キリスト教の理解の本質にまで及ぶものとなりました。

ここでは、古代バビロニアの人間創造の神話との相違を考慮したいと思います。創世記のP(祭司文書)が書かれた紀元前6~5世紀のバビロニアにも、エヌマ・エルシュの神話という創造神話がありました。この神話では、善なる神マルドゥクが、闇の怪獣テホームと戦い、それに勝利して、怪獣の体を二つに裂き、一方で天を造り、他方で地を造ったと記されています。古代バビロニア神話には、対立原理である二人の神々の闘争によって、万物が創造されたというモチーフが前面に出て来るわけです。これに対して、創世記の神話では、神がただ「光あれ」と言葉を発するだけで、万物を創造していきます。二元的なモチーフのかけらすら、創世記には見られません。ここには、捕囚時代の征服者であるバビロニアの神話に対するアンチテーゼが示されています。神々が闘争して世界が創造されるのではなく、至高なる神の絶対的な意志と言葉によって、万物は創造されるのです。ここには、単に人間創造の説明ではなくて、絶対者なる神の信仰告白が示されているとさえ見ることができます。

また、人間の創造についてのバビロニアの神話は、神々の血(ダーム)を受け継いで、人間は造られたと叙述しました。それゆえ、血を媒介として、神と人との間には、一種の血縁的類縁性があると見なされたのです。これに対して、創世記では、確かに「神のかたちに、神にかたどって」人間は創造されたと記されますが、これは、バビロニアの神話が内包する神と人との関係の血縁的類縁性をむしろ拒否しているとされ、神に向かい合う人間存在の応答可能性を示すと考えられています。つまり、人間が神のかたちに創造されたとは、生来的な認識能力の具備や理性といった人間固有の本質をさしてそういうのではなく、「われと汝」の人格的関係を持ちうる存在としての人と神との関係性が表現されていると考えられます。旧約聖書は、その出発点から、神の前での人間を問題にし、神との関係において、人間と人間の問題を捉えようとしていることがわかります。

人間の創造物語の中で、もう一つ注目したいのは、人間が「男と女に創造された」と記されている点です。古代の諸民族には、例えばギリシアのアンドロギュノスの神話では(プラトン『饗宴』参照)、人間の性(ジェンダー)はそもそも創造の原秩序の中にはなく、男と女という性の分化が生じる以前の一種の原人間(アンドロギュノス)が存在するのみであったという考え方がありました。プラトンの神話では、神々はまず手足が4本ずつの原人間を創造します。ところが、この原人間の悪行に神々は憤り、アンドロギュノスを二つに裂いてしまいます。そこでできたのが、男であり女であったというわけです。男と女は、引き裂かれて離れ離れになった自分の片割れを求めて、地上では恋焦がれるというわけです。男女のエロースの衝動は、そのようにして説明されますし、ここからプラトニック・ラブという言葉も生まれました。このようなギリシア神話の人間観に対して、旧約聖書は明らかに創造の原秩序の中で、男と女という固有の性を持った人間が創造されたと考えています。性(ジェンダー)のない人間は存在しないというのが、聖書の考え方です。

神は、六日間の創造のわざを完成されると、「第七の日に、御自分の仕事を離れ、安息なさった」(創世記2章2節)と記されます。神が休息をとられたゆえに、わたしたちもその日を安息日として覚え、神にのみ仕える日とします。安息日の本質は、「中断する」ということです。現代のわたしたちは、中断することがあたかも罪悪のように思われ、それこそ途切れなく仕事をし、安息は罪悪のように感じます。しかし、旧約聖書は、十戒の中でも「安息日を心に留め、これを聖別せよ」と命じているように(出エジプト20章8節)、創造主なる神を覚えて、時と場所を定めて、全存在を神に向けることが命じられています。それは、神のかたちに創造された人間の原秩序を回復することであり、神の前での自分自身の存在を礼拝によって整えることでもあります。

ユダヤの民は、金曜日の日没から24時間を安息日と定めました。その日は、すべての仕事を止め、神を礼拝する時として捧げました。キリスト教が、このユダヤ教の安息日ではなく、日曜日を主の復活の日として祝いはじめたことには、大変大きな意味があります。安息日をただ律法の規定とおり、形式的に守るのではなく、まさに十字架にかかりわたしたちの救いを成就させてくださった復活の主こそ、安息日の主であるとの確信をキリスト者は得たからです。主イエス・キリストは,安息日に麦の穂を摘んで食べる弟子たちが、ファリサイ人らから非難されたとき、「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」(マルコ2章27~28節)と答えられました。ここには、神の定めた安息という出来事が、主イエス・キリストによって、実現し、成就したことが暗示されています。つまり、旧い約束の実現として、新約聖書の出来事が理解され、それゆえに、新旧両約聖書の一貫性が認められているのです。

 

5 新約聖書とは―その歴史的背景

27巻の新約聖書は、福音書と呼ばれる文書や使徒言行録、パウロの手紙、パウロの名を冠した手紙、その他の手紙(公同書簡、牧会書簡)、ヨハネ黙示録などから成っています。いずれも、コイネーというヘレニズム時代のギリシア語で書かれています。

最もはやい時期に書かれた文書は、パウロの書簡と考えられています。紀元50年代前半には、すでにテサロニケの信徒への手紙やコリントの信徒への手紙、フィリピの信徒への手紙などが成立していたと思われます。また、福音書では、紀元60年代にはマルコが、その後マルコを資料として用いながら、70~80年にかけてルカ、マタイ、ヨハネがそれぞれ成立します。新約聖書中、もっとも後期に書かれたものが、公同書簡と呼ばれるいくつかの手紙(ペトロの手紙、ヨハネの手紙等)です。おそらく紀元120~150年ごろと考えられます。大部分は、古代のパレスチナあるいはその周辺部で書かれたと思われます。

ヨハネによる福音書19章17節以下に、主イエスが処刑される場面がでてきます。その際、イエスの罪状書きが、「ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた」(20節)とありますが、この何気ない記述は、新約聖書の時代の背景が上記の三つに関わるものであることを示唆しています。すなわち、「ヘブライ語」とは、新約聖書の時代にすでにパレスチナにおいて二千年近い歴史を刻んできたユダヤ民族の言語です。また「ラテン語」とは、イタリア半島を中心に勢力を拡大し、強大な国家をその時代に築いていたローマ帝国の言語であります。そして、「ギリシア語」とは言うまでもなく、アテナイやスパルタという都市を中心に、偉大な文化と文明を築き、地中海世界全般に大きな影響を与えつづけてきたギリシア人とマケドニアのアレキサンダーによって統一されたヘレニズム文化圏の共通言語であります。

当然のことながら、新約聖書には、これら三つの言語を通して、ユダヤ教、ヘレニズム文化、ローマ帝国という三つの文化的遺産の背景と影響が見え隠れしていることになります。

ユダヤ教

ユダヤ教は、主イエス・キリストの時代までに、すでに1500年以上の歴史を持つ民族宗教でした。この歴史の中で、旧約聖書39巻が書かれ、集められました。創世記を見ますと、古代イスラエルの神話とともに、アブラハムから始まるイスラエルの民の歴史が詳細に描かれています。この壮大な歴史は、創世記12章から始まって、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記、・・と続いていきます。旧約聖書の中心部分をイスラエル民族史が占めるのは、ユダヤ教の歴史意識が強く反映しているからです。つまり、争いと憎しみに満ちた民族の歴史の只中に、神が働きかけ、介入するという意識であります。創世記が世界と歴史のはじまりを描き、黙示文学がその終末を描くのも、歴史をはじめるのも終わらせるのも神であるという確信ゆえなのです。

ユダヤ教は、民族の苦難の中から、歴史の終わりには救い主(メシア:ヘブライ語で「油注がれた者」の意味。ギリシア語に訳されて「キリスト」)が到来するという確信を持つようになります。特に紀元前6世紀のバビロン捕囚後、ダビデ王がメシア的な王の原像とされるようになります。

ユダヤ教は、また旧約聖書の律法(トーラーと呼ばれる旧約聖書の最初の5つの書)を重んじ、それらを文字通り実践することで救われると教えました。さまざまな祭儀や祭り、安息日の規定、食物規定等を遵守することが人間の救済をもたらすと信じたのです。

さらにユダヤ教は、独自の祭儀を歴史の中で、実践してきました。とりわけ、王国時代以降、エルサレム神殿の意義は大きく、紀元前7世紀のヨシヤ王の時代にすべての祭儀のエルサレム集中が起こります(列王記下23章)。神殿において、犠牲の祭儀が祭司によって執り行われ、神とイスラエルの執り成しが祈られました。

紀元前6世紀に起こったバビロン捕囚とそれに伴うエルサレム神殿の崩壊とダビデ王朝の断絶は、ユダヤ教に大きな転換をもたらします。この一種の崩壊経験から、イスラエル民族は、多様な文書(哀歌、第二イザヤ、エレミヤ書、創世記祭司文書等)を生み出すとともに、国家と直接に結び付いた民族宗教から、新たなユダヤ教団として再出発します。神殿を失った民は、各地にシナゴーグ(礼拝のための会堂)を作り、割礼や安息日遵守の慣習を積極的に守っていきます。とりわけ、紀元前515年頃に、ゼルバベルによって再建された第二神殿が、紀元前2世紀にシリヤのアンティオコス4世エピファネスによって荒らされる時代には、ユダヤ人としてのアイデンティティが一層意識され、ヘレニズム化の流れに対抗する意味からも、ユダヤ教ヘの伝統回帰の運動が繰り広げられたと推測されます。

このような伝統を汲むユダヤ教の諸派が、イエスの時代には存在していました。ファリサイ派、サドカイ派、エッセネ派、ゼロータイ派がそれです。こられのユダヤ教諸派は、伝統的なユダヤ教の特質を継承しながら、独自の主張や運動を繰り広げていたことが知られています。新約聖書にも、エッセネ派を除く三つの派の名前は、頻繁に出てきます。

ローマ帝国

主イエスの時代のパレスチナは、実質的にローマ帝国の支配下にありました。長くパレスチナを支配していたヘロデ(大王)が紀元前4年に逝去すると、三人の息子たちが、パレスチナを分割統治することになります。ヘロデ・アンテパスがガリラヤ、フィリポスが北部トランス・ヨルダンのペレア、そしてアルケラオスがサマリヤとユダヤの支配を継承しました。ところが、ユダヤの王となったアルケラオスは殊のほか無能な統治者で、結局紀元6年に、ローマ帝国は彼を解任し、代わりにローマから総督を派遣してユダヤ・サマリヤ地方を直接統治することにしました。この時期から、先に述べたユダヤ教の諸派のうち、ゼロータイの反ローマ運動が激化し、エッセネ派(クムラン教団)を巻きこんでの抵抗運動へと展開していきます。紀元70年に終結する第一次ユダヤ戦争は、ローマとユダヤ急進派との前面対決となりますが、ローマは徹底して急進過激派を弾圧することになります。

1世紀のローマ帝国は、原則としてユダヤ教徒には、寛容政策をとりました。ユダヤ教徒には、宗教的な自治権を付与し、エルサレムにおけるユダヤ人議会(サンヒドリン)の存続を認めました。しかし、ユダヤ人議会には重罪人を死刑に処するような権限は与えられておらず、イエス・キリストは、結局はローマ総督ポンテオ・ピラト(在26~36年)の決定によって処刑されることになります。

ローマ帝国は、奴隷制に基づいて、巨大な富と繁栄を生み出し、広大な地域の支配を行っていました。キリスト教が、ローマ帝国の片隅に生まれ、約300年かけてローマの宗教となっていったプロセスもまた、実に興味深いものですが、その話はまた別の機会に譲ることといたしましょう。

ヘレニズム文化

すでに指摘した通り、紀元前4世紀後半に地中海世界は、マケドニアのアレキサンダー大王によって統一され、その統一文化圏が、のちに「ヘレニズム世界」と呼ばれるようになります。このヘレニズム文化圏の特色は、一言で言えば、文化的な混淆(シンクレティズム)です。混淆は、共通の言語と交通の発達などによって促されました。

その結果、単なる日常的な次元のみではなくて、宗教や哲学、思想の分野で混淆は起こりました。例えば、エジプトのトト神とギリシアの神々の一つヘルメス神(使徒言行録14:12)が混交して、ヘルメス・トリスメギストスというような新しい神が生まれました。また、ペルシア起源の密儀宗教や星辰宗教がローマに流布したり、グノーシス主義のような思想がさまざまな思想と混淆していたのもこの時代です。また、エピクロス派やピュタゴラス派などの哲学の派も広く存在していました(使徒言行録17:18)。

このような宗教的、文化的な混淆の時代に、キリスト教はただ一人の神とその独り子イエス・キリストを信じ、聖霊を信じる信仰をかなり頑なまでに主張することになります。

 

6 新約聖書の使信―主イエス・キリストとは

主イエス・キリストの生涯を知るための、最良の史料は、新約聖書です。しかし、すでに指摘したように、新約聖書そのものが,単なる歴史書ではなくて、信仰の書物であります。つまり、主イエス・キリストを「わたし」にとってかけがえのない方、信仰の対象として描く文書の集成が新約聖書ですから、そのことを良く認識しながら、「主イエス・キリスト」の生涯を新約聖書から辿ってみましょう。

イエス・キリストという名称自体が、すでに教会の信仰をあらわしています。イエスは、ヘブライ語の固有名詞イェホシュア(ヨシュア)(ヤハウェは救い)のギリシア語読みです。またキリストは、元来はヘブライ語の普通名詞メシアのギリシア語読みです。マルコ福音書1章1節の冒頭部分は、「神の子イエス・キリストの福音の初め」となっていることからも、福音書が何を目的として叙述しているかがわかると思います。

主イエスの誕生

主イエス・キリストの誕生は、マタイ福音書とルカ福音書に記されています。ともに、処女降誕の出来事を書き記します。マリヤは、ガリラヤの処女でありましたが、聖霊によって身重になります。許婚のヨセフは、そのことを知って密かに離縁しようとしますが、天使があらわれ、「恐れず妻マリヤを迎え入れなさい」(マタイ1:20)と告げます。そして、生まれる男の名を「インマヌエル」(神は我々と共におられる)(イザヤ7:14、8:8)と名づけるよう命じます(マタイ1:23)。一方、ルカ福音書は、天使の御告げを聞くマリヤの姿を描いています。ルカ福音書1章26節以下には、天使からの受胎告知を受けたマリヤが、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と神の子を宿す決意を言い表す処女の姿を記します。

処女降誕とは、現代人にはしばしばつまずきとなる出来事ですが、古代人もまた、そのことが歴史の経験的な事実とは符合しないことを良く知っていました。にもかかわらず、二つの福音書が、処女降誕を福音書の最初に描くのは、人間の男子の介入なしに誕生したイエス・キリストが、インマヌエルという言葉とおり、神の子であり、神とともにいる存在であるという信仰による確信を伝達するためでありました。主イエス・キリストの生涯は、その発端から、人であると同時に神である方の誕生であるという使信が込められていることを見逃すことはできません。

少年時代・青年時代

イエス・キリストの少年時代・青年時代の記述は、新約聖書にはほとんど何もありません。ただ一箇所、ルカ福音書2章22節以下に、イエスが両親に連れられて、エルサレム神殿に詣でた出来事とその時のエピソードが紹介されているだけです。そもそも、新約聖書の関心は、主イエスの伝記的生涯にあるのではなく、生涯の最後の出来事すなわち十字架と復活にあります。ある聖書学者は、福音書というのは、十字架と復活の受難物語に長い序文がついたようなものだと言いました。それくらい、福音書の全叙述は、主イエスの生涯の最終部分に集中していきます。

公生涯

主イエスは、30歳位の時に、公の生涯に入ります。まずガリラヤで「神の国」を宣べ伝えます。マルコ福音書1章15節には、主イエスの第一声が「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と紹介されています。この「神の国」の宣教は、主イエスの教えの中核をなします。それは、神の支配の約束の使信です。当時のユダヤ教の終末論が、きわめて強い民族主義的な色彩を持っていたのに対して、主イエスは罪人も女性はもちろんのこと、律法に違反し社会から疎外された人々をも悔い改めに招き、救いの可能性を伝えつづけました。また、神の国は、単なる歴史の未来の事柄ではなく、主イエスを信じ、隣人を愛する生き方をするときに、すでに今始まっているというメッセージを伝えます。有名な「良きサマリヤ人のたとえ」(ルカ10章25節以下)は、来るべき神の国に関する主イエスの譬え話であることは注目して良いでしょう。

さらに、主イエスは、さまざまな譬えを使って、神の国についての使信をイスラエルの民衆たちに語り伝えました。マルコ福音書4章26節以下には、神の国は「成長する種」や「からし種」に譬えられています。主イエスの言葉は、あるリアリティを示すのに、単なる説明の言葉ではなく、「譬え」という物語を媒介にして、誰にでもわかりやすく、また直截に人々に理解されるように語られたのです。

主イエスは、わずか三年の短い公生涯の間に人々を癒し、奇跡を行い、説教をし、弟子たちを教え、伝道地へと派遣しました。 

十字架と復活

主イエス・キリストの公生涯の最後は、主の十字架と復活の出来事です。すでに述べましたように、福音書全体は、この主の生涯の最後に向けて書かれ、構成されていると言っても良いと思います。マルコ福音書には、弟子たちと行動をともにしているイエスが、繰り返し、ご自分の受難を予告しておられることが示されています(3:6、9:30~31、10:32~34)。

主イエス・キリストは、おそらく一種の政治犯として処刑されたと思われます。自分自身をユダヤ人の王と自称し、ローマ帝国の支配下にあるユダヤ社会の秩序を揺るがし、伝統的なユダヤ教の教えから逸脱して、自ら「神の子」と自称した宗教上の罪が、同朋のユダヤ人によって告発されたのです。

福音書を見ると、ポンテオ・ピラトは、イエスの処刑には消極的であったように描かれていますが、結局はユダヤ人の要求と治安維持の目的で処刑に同意を与えてしまいます。使徒信条には、「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け」と告白され、ピラトの名は永遠に人々の心に記憶されることになりました。

主イエス・キリストは、神の子であったにもかかわらず、苦難を経験し、死んだというのが、新約聖書の中心的な使信なのです。ここから、なぜ、神の子が十字架上で死ぬのかという本質的な問いかけが新約聖書の主題となります。

新約聖書は、イザヤ書53章の「主の僕」の姿と、主イエス・キリストの姿を二重写しにすることによって、全人類のために、人々から嘲られ、捨てられ、苦難を受ける「僕」の姿こそ、ユダヤの民が待ち望んでいた栄光のメシアとは正反対でありながら、まことのメシアの姿であると確信していくようになります。

そして、主イエス・キリストが、十字架につけられ、死んで葬られて、三日目に死よりよみがえったところに、十字架上での死んだイエスが、まことに神の子であったという確信を固く揺るがぬものとします。

すでに述べたように、この出来事こそ、最初期のキリスト教が、口頭伝承で真っ先に伝えた使信でありました。しかも、十字架の出来事は、かつてユダヤの民が、神殿や聖所でくりかえし捧げた犠牲が、主イエスの一回限りの自己犠牲によって完結し、旧約以来の約束の実現であると考えられるようになります。特に、ヘブライ人への手紙は、このような観点から、主イエスの十字架の贖罪の行為を意味づけています(ヘブライ人への手紙7:26~28)。またパウロ書簡も繰り返し、十字架の言葉の力とそこにだけ固執する信仰の重要性を倦まずたゆまず語り続けます(コリント(Ⅰ)1:18~25、2:1~5、ガラテヤ2:15~21)。

 

7 キリスト者として聖書を読む

キリスト者として聖書を読むことほど楽しいことはありません。なぜなら、信仰の眼によって聖書を読むとき、その一言一言に、神の救いのご計画がこめられていることをわたしたちは知るからです。古代の教父たちも宗教改革者たちも、聖書の文字が聖霊の働きによって生命を宿していることを確信していました。オリゲネスもアウグスティヌスも、ルターもカルヴァンも生涯かけて聖書の66巻を読み続けました。キリスト者は、生涯聖書を読む存在です。すでにお話してきましたように、聖書は、旧約と新約の両方を読むことが大切です。常に両者は言葉と文字において呼応しあい、豊かな響きをわたしたちにもたらします。神の子であり永遠なるキリストは、ナザレのイエスとしてキリストが肉を取る以前にも働いていました。ですから、カルヴァンは、旧約聖書の一つ一つの言葉もまた生けるキリストを証言しているのだと確信しています。カルヴァンの説教『霊性の飢饉』(イザヤ書55章1~2節の説教)を読むと、カルヴァンの聖書の読み方がいかに深く鋭いものであったかがわかります。

聖書を読むとは、聖書の物語にわたしたちが参与することを意味します。しかも、この物語は、教会の物語として語り伝えられてきました。神の救いの物語を共有することで、神の民が形成されます。ですから、キリスト者として聖書を読むとは、信仰を与えられたわたしたち一人一人が、信仰を個人のものに狭めていくのではなく、共同体の信仰へと拡大していくことを意味します。旧約聖書の記者たちが、イスラエルという神の民の歴史の中に神の救いのご計画を読み取ったように、わたしたちは新しいイスラエルすなわち教会の歩みの中に、神の恵みの深さを読み取ることができます。キリスト者として聖書を読むとは、この神の計画と恵みに答えて、礼拝へと導かれ、そこで神の声を聴くことと同じであることを最後に指摘しておきましょう。

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