Assertion

神学を研究するということ

更新日:2022.07.07

関川泰寛

神学(theology)とは、神についての学(theos[神]についてのlogos[言葉・学問]というほどの意味です。すでに古代ギリシアの哲学者アリストテレスが用いました。その際には、キリストにおいてご自身を啓示された神についての学ではなくて、万物の始源であり、一者たる究極的存在についての考察を行う学問という意味で使用されました。

キリスト教神学は、主イエス・キリストの十字架と苦難、死と復活の出来事が、人間の罪と死の救済の出来事であるとの確信から生まれました。その意味で、イエスの出現を予示し、その背景となった旧約聖書とイエスをキリストとして証言する新約聖書は、ともに神学の対象であり資料と言えます。神学の分野では、聖書神学と総称されます。

聖書の時代以後、2~6世紀の古代世界、さらにはキリスト教が支配宗教となる中世、宗教改革の時代、近現代の大きく変貌する神学の姿など、すべて神学研究の対象となります。これら各時代の教会史や教理史は、歴史神学の対象となり、広汎な領域を含みます。

かくして、神学研究は、聖書の神学を研究する聖書神学、キリスト教と教会、並びに教理の歴史を研究する歴史神学、そしてこれらの資料を用いて、キリスト教信仰の弁証と組織化を行う組織神学、さらには伝道と教会形成の実践に関わる実践神学などの分野があります。

これらの伝統的な神学の諸分野を含めて、さらには21世紀の諸学や諸課題との対話や交流などを積極的に行うことができればと考えています。

神学研究には、教会の学として、教会教理の弁証や組織化という中心的な課題とともに、哲学や歴史、言語、心理学、医学などと直接に重なる部分があります。同時に、新しい学問分野との折衝は現代における神学の営みの急務です。

神学が学であり続けるためには、硬直した悪い意味での「ドグマ」、つまり教条的な教理の反復、教会の御用神学となることではなくて、それらを批判的に自由に吟味して、新しい神学の可能性を生み出すことが求められます。

そこで、日本神学研究センターでは、神学の相互批判と新しい神学的な思索の構築を心掛けていきたいと思います。

神学研究は、教会への関心と表裏一体です。この点では、参加者に意識の総意や濃淡の違いがあると思います。教会へのコミットの仕方は神学を研究する者の体験に相当のところ拠っているように思います。個人の関心の度合いは相違していても、歴史的に見るならば、神学はそのほとんどの時代教会の学として形成されてきました。宗教改革者たちの思想は、様々な領域で影響を及ぼしましたが、彼らの意図は、ローマ・カトリック教会の堕落と偽善に抗して、新しい教会を建て上げるところにありました。そのための全身全霊をかけた戦いが、神学的思索に結実していきます。

本センターは、このような神学形成のダイナミズムを決して忘れないというところから出発しています。このような戦いは、決して護教的で閉鎖的な戦いではありません。むしろ、自分たちの信仰のアイデンティティを確立するために、一方では内側に向かいソリッドなコアを形作りますが、それは常に普遍的な価値や思想となるための開かれた窓を有しているのです。

こういう神学の側面を忘れてはならないと思います。そのために、キリスト教のみならず、日本の文化、伝統、仏教や神道、イスラムなど諸宗教伝統との対話もまた大きな課題となるでしょう。加えて、近現代に勃興した諸学問、経済学、政治学、心理学、社会学などとの協働、対話も求められるでしょう。

日本における神学の振興が、本センター設立の目的です。どうぞ奮ってセンターの会員になっていただき、運動をサポートしてくださるようお願い申し上げます。

 

追伸:本研究センターは、ホームページ上にエッセーや論文を掲載します。これらは、会長、副会長、主事などの査読を経て掲載が承認されるものです。さらに年に一回、『歴史神学研究』を発行しています。こちらは、主に歴史神学研究の分野の論文を掲載しますが、今後神学全般の論文を掲載できる雑誌の定期的な発行も考えていきたいと思います。

ページの先頭へ戻る