Assertion

プロテスタント伝道の不振克服の処方箋

更新日:2022.07.11

関川泰寛

以下は、現代のプロテスタント教会主流派に属する日本基督教団の諸教会を念頭に置きながら、これまで、3つの教会の牧師、神学教師、教務教師、幼稚園園長などを経験した筆者による、プロテスタント伝道の不振の克服について思い巡らした試論である。試論ではあるが、真剣な考察の結果、わたしなりに与えられた結論である。

本書は、出版のために準備されたものである。一~三の出だしの部分を日本神学研究センターのホームページに掲載する。興味のある方は、出版の暁には、本ホームページで改めて宣伝させていただくので、買い求めていただければ幸いである。

一 日本におけるキリスト教の低迷と説教の貧困

プロテスタント伝道開始以来、百数十年が経過した。しかし、日本におけるクリスチャンの数は、人口の一パーセントにも届かないし、キリスト教の影響力は低下の一途をたどっている。教会からは、若者が去り、高齢者ばかりとなったために、わずかな教会員が、祈りつつ、実に献身的に牧師の生活を支えている。牧師は、長年続けてきた説教を今更大きく変えることもできず、さらに若者を集めたくても、コンテンポラリーな礼拝を主宰するノウハウもなく、同じ町にできた福音派の教会がたくさんの若者たちを集めて、元気の良い礼拝を捧げているのを、横目で見ているだけである。できることは、「ああいうのは礼拝と呼べない」とつぶやいて、何もしない自分を正当化することばかりである。

このままでは、日本の主流となってきた日本基督教団などの諸教会は、まもなく衰退し、生き延びたとしても、それはシベリアの永久凍土に埋もれた小動物のようになってしまうだろう。何千年か先にその痕跡が掘り起こされることはあっても、決して生き返ることのない痕跡にすぎない。

わたしは、真実の福音の種がまかれるならば、たとえ歴史から一時的に姿を消すか、その姿がほとんど消失したかに見えたとしても、再び春が来れば、芽を吹いて新緑の装いとなることを予想できる。しかし、現在の日本の教会の深刻な問題は、礼拝出席者と受洗者の減少、教会の高齢化、さらには伝道者になろうと考える人々の減少ばかりではない。真の問題は、福音そのものが忘れ去れているということである。

端的に言えば、礼拝において、力ある説教、すなわち、み言葉の力を伝える説教が消え失せてしまったことによる。わたしたちは、二0一九年から始まる新型コロナ・ウィルスの感染拡大に伴って、思いがけず、諸教会の主日ごとの礼拝を聴く機会が与えられた。教団内の諸教会の中には、教会員向けに礼拝説教もしくは礼拝をYouTube 配信したために、毎週、他教会の礼拝説教を聴く機会が与えられたのである。

わたしは、毎週約一0教会の礼拝説教を継続して聴いているが、深刻な事実に気づくようになった。それは、教団を代表し、指導的な立場にある牧師たちの説教の貧困と福音が語られていないという決定的な事実である。

福音が語られていない説教を具体的に指摘して、問題を指摘することが本来ならば望ましい作業ではある。しかし、公にされた書物の中で、特定の牧師の名前を挙げて、具体的な説教の論評はさすがに差しさわりがある。

そこで、本書では、全体を見渡しながら、日本の牧師の説教のどこに問題があるかを指摘することにしたい。

第一に、説教における全権の委託という神学的な理解の誤解が蔓延している。力ある説教が、あたかも牧師の介在によって、潜在しているみ言葉の力を回復しているつもりになっている説教である。実際は、説教者が介入して、み言葉の力を伝えずに、阻害している説教がどれほど多いことか。それは嘆かわしい事実である。この類の説教の特質は、聖書の言葉をそのまま、力あるものと語らずに、牧師の解説や論評が邪魔をするように入り込む。常套句は、この言葉は、新共同訳ではこう訳されているが、実はかくかくの意味であり、本当はこういう意味であると解説が入る。これではあたかもギリシア語を学んでいない会衆には、牧師の解き明かしなしには、永久にわかりかねる文字となってしまう。こういう説教は、旧教派時代から行われてきた。もう一つのタイプは、聖書に書かれていない行間を牧師が読んで、想像し、それを説教の聞き手に、あたかもそれが唯一の正しい解釈のように押し付ける説教である。例えば、三度イエスを否認したペトロの心情を推察し、これでもかこれでもかと語る。さらには、エロイエロイレマサバクタニと叫んで息を引き取った主イエスは、神の御子なのだから、実際の心は苦しみも不安もなかったと推測する。このような推測は、聖書には書かれていない事柄を説教者が自由に推し量って語る結果なのだが、結果として説教の聴き手の想像力や自由を束縛し、説教者の隠れた傲慢が礼拝全体を支配することにつながる。

第二は、聴き手は、み言葉を理解する力がないと決めつけてのことだろうか、聴き手に限りなく迎合する説教である。説教の冒頭から、若者の文化に言及し、音楽、ゲーム、若者文化を説教者は知っているとアピールする。同時代の文化の言語によって、聖書の言語を変換することが、あたかも説教者の役割のように考えている。確かに、歴史的に見れば、説教の語りには、それが語られる同時代の文化や思想、言語との折衝が不可避的に出来事として起こる。クリュソストモスの説教では、アンティオケの総覧に対する使信もまた日常的に行われたし、ルターやカルヴァン、ジョン・ノックスの説教には、敵対者であったローマ・カトリックの司教や世俗領主に対する歯に衣着せぬ批判は頻繁に出てくる。説教が預言者的な役割を帯びていれば、当然である。しかし、日本の説教の問題点は、み言葉が、文化や思想、政治状況に迎合するような形で語られている点である。なぜ、福音の光に照らして、同時代の文化や思想、政治状況を語らないのだろうか。時あたかも、ウクライナ戦争が勃発した二0二二年二月二四日以降の説教をかなり注意深く聴いてみたが、自己神化の過ちに陥った独裁者の裁きの説教は皆無である。一様に、戦いはいけない、戦争の武力行使はいけないという使信とそこに現れた人間の罪の問題を抽象的に繰り返すばかりで、人間世界の悪の現実の救いの問題を正面から説き明かした説教には、残念ながら出会うことはなかった。結局は、日本の諸教会のマジョリティーの国家観や戦争観、平和の理解、さらには日本の進歩的知識人の憲法九条を墨守することによって戦争を抑止可能だから、戦争当事者双方が戦争と言う愚行を止めて、外交交渉による解決を目指すべきだと言うような門切り型で、無責任な「神の言葉」が横行している。

第三に、第二の問題と密接に関わるが、結局、説教は、罪と悪の問題と深刻に直面していないのである。説教は、日々現実人間の行う悪事や裏切りの罪、神への反逆というような深刻な現実には触れないで、箱庭のように保たれた教会と箱庭のような楽園と重ねられて理解されている「神の国」の宣教にいつもとどまっている。このようにして語られた神の国とは、悪と罪を滅ぼし、支配しつくす人間の支配する悪とは無縁のものであり、それこそ、マルクスやフォイエルバッハが語った、人間の窮状の鎮静剤としての宗教にとどまっている。それは福音とはほど遠いと言わねばならない。説教が罪と悪の問題を適切に語ることができないことは、神学が機能不全に陥っていると言わざるをえない。神学の機能不全とは、神学が神の言葉に拠って立つことをしていないことを意味知る。神学は、もはや神についての語りではなくて、神を思索し想定する人間の言葉に成り下がっている。日本の教会の深刻で、根深い問題は実にここにある。

第四に、説教は、しばしば退屈で中身のない教理に置き換わってしまっている。教理的な説教の骨格は確かに大切である。教理の無い説教は、腑抜けた雑談になってしまうことはしばしばである。しかし、教理をそのまま繰り返せば説教になるというわけではない。説教には、聖霊の風が必要である。説教者も説教の聴き手も、今まで味わったことのないような福音の甘美な力によって、主イエス・キリストの現臨へと誘われる。つまり、説教は、ありがたきお話し、教会の教えを静的に聴くのではなくて、礼拝と言う動的な聖霊の風の中で、聴き手に新しい経験を与える。したがって、説教が真の意味でなされるなら、説教を行い、聴く共同体は、常に新しくされる。教会は、み言葉によって改革され続ける。残念ながら、日本の教会の多くは、自分が改革されるのではなくて、相手が改革されることを律法的に求め続ける。説教者は、上から目線で、「正しき」教えを説き、それに従っていない教会員への道義的な猛省を促すものとなってしまっている。

第二次世界大戦後にまもなく、カール・バルトが行った講演に、「キリストとわれらキリスト者」がある。その中で、バルトは、キリストは勝利者であり、勝利とは慰め以上のことだと明言している。さらに希望は、快活さ以上のことであり、伝統的なキリスト教が陥った病いは、私たちがキリストを精々慰め手として理解するところにとどまっているところにあると語っている。バルトは、信仰の共同体に属するクリスチャンが、キリストの聖金曜日の側面だけでなく復活節の側面を持っている理由を、次のように述べている。「十字架は、もし正しく理解されれば、矛盾や不可解さの徴ではなくて、勝利の徴だからである。『汝ハコノ徴ニテ勝タン』(マクセンティウスに対する戦いの際にコンスタンティヌス大帝に示されたと伝えられる言葉)。われわれに必要なのは、復活節の使信を信じるキリスト者の群れである」(バルト『戦後神学論集』井上良雄訳、96頁、新教出版社より)。戦後間もない荒廃したヨーロッパにあって、キリストの福音が慰めに留まり、人間の死や罪、悪を刺し貫くような力あるものであると考えられない現実があったのだと思う。そうであるなら、もはや教会は希望を語らなくなってしまう。バルトは講演を次のように締めくくる。「新しいキリスト者の群れ、新しい教会こそが、今日何にもまして必要だということについて、自覚を持っていたいものである。」

こういう自覚の欠如が、現代の日本の諸教会を覆っているのではないか。福音は、せいぜい慰めであり、戦いを勝利する力とはならない。バルトは、言うまでもなくナチズムへと屈服したキリスト教の現実が、戦後もまた真の反省なく存在することを嘆いている。翻って私たちはどうであろうか。

最後に、日本の諸教会の説教は、キリストの現臨を指し示していない。説教は、聖書テキストの注解にとどまり、テキストの背後にある「真理」を説教者が明らかにするという形態をとる。聖書は、礼拝に出席しているすべての会衆にとって、すでに明らかにされた神の言であるのに、つまりキリストの現臨は、礼拝の初めからの大前提であるのに、テキストから神の言をつむぎだせると誤って信じ込むことで、説教者の力によって、キリストの現臨がもたらされるかのように考えてしまう。このような説教は、現臨するキリストを証言するのではなくて、それを操作して創り出す。人間の創出する「現臨するキリスト」は、偶像に他ならない。聖霊の働きに身を委ねる説教ではなくて、自分がマニュープレートする説教となってしまう。一部の巧みな説教者たちは、自分の体験談、しかも会衆には真偽の確かめようもない逸話を通して「感動を会衆に与え』、その感動があたかもみ言葉の感動のようにすり替える高騰テクニックを駆使して、会衆を欺く。こういうテクニックの修行の場所もまた備えられていて、それに対する批判が起こらないところに日本の教会の根深い問題も存在すると言わねばならない。

当然のことながら、このような説教には、頌栄的な特質が欠落し、会衆の心は、目の前にある聖書テキストの文字に埋没したままである。一所懸命聖書テキストの真意を探ろうとする真面目な聴き手は、結局は牧師の釈義の見事さや牧師がテキストを通して得た体験談に満足するところにとどまったままである。

これらの日本の説教の大きな問題を知らずに、どこかおかしい、どこか間違っていると、首をかしげながら礼拝を守っている教会員が何と多いことか。これは、日本の教会の悲劇ではないだろうか。教会員が、牧師の説教の問題に気づいて、説教を何とか改善できないかと牧師に相談しても、帰ってくる言葉はほぼきまっている。「もう少し忍耐して聴いてください。牧師の説教のために祈ってください」「説教は、神の言葉そのものです。説教批判は神の言葉を冒涜することと紙一重であることを知ってください」。そういわれると、大部分の教会員は返す言葉を持ち合わせていない。むしろ自分の説教の聴き方が悪かったのではないかと自ら恥じ入るのである。神学教育を受けていなければ、理路整然と反論することもかなわない。結局、黙って自分の席に戻る他はないのである。

しかし、これが健やかの教会の姿であろうか。死んだような説教を喜びの主日に繰り返して、説教作成のために牧師は忙しいのだから、牧師を煩わせてはいけないと自制する教会員をしり目に、もっとも楽な生活を組み立てている牧師はどう改革されるべきなのだろうか。一度牧師となると、再教育の場や他の牧師からの批判(単なる間違い探し、あらさがしの批判ではなく、本当の意味での「批判」である)を受けることなく、死ぬまで牧師であり続ける人間の問題に今こそ気づくべきである。

 

二 教会理解の曖昧さ

現代の日本の教会の問題

日本のプロテスタント教会の不振のもう一つの原因は、教会とは何かが牧師と信徒に共有されず、教会自体が多くのトラブルを抱え込んで適切に解決できないところにあると思う。私は、人間が存在する限り、様々なトラブルが生じるのは当然だし、それらの解決のために、牧師と教会員が、祈りを合わせ、知恵と力を出し合うことは、今後の教会の成長につながると思っている。つまり、トラブル即問題とは考えていなし。しかし、日本の教会の課題は、トラブルが生じたときに、それを適切に解決する道筋が見えず、慢性的なトラブルとなり、エネルギーの内部消費が続く点である。解決できないトラブルが慢性化すると、解決への意欲を完全に失わせる。すべて惰性で、教会が営まれることになる。

問題は、共通する教会理解の欠如や曖昧さである。特に日本基督教団は、一九四一年に宗教団体法の下、三十余の教派教会が合同させられて成立したのであり。そもそも教会理解の一致がないままに、「合同教会」として出発した。

わたしは、この問題が及ぼす深刻さを十分わきまえていたつもりで、教派の伝統にかなり肯定的な立場をとり、教団内の連合長老会や改革長老教会協議会に加わり、その中心にいることを自負もしてきた。

しかしながら、日本の教会の組織の問題は、それがすぐに硬直化しファリサイ化することである。組織の長は、権威と名誉を求め始め、選挙によって選ばれていることを根拠に、どこかの国の大統領のように、五年も十年も、地位に留まることである。こういう構造は、各個の教会でも生じる。教会牧師に任期がないことを口実にして、生涯教会に居残り、老後の面倒まで、教会員に頼もうと目論む牧師が少なくない現実がある。牧師の老後は、住宅がなく、年金が乏しく、身寄りもない・・などといろいろな口実を設けて、教会に居座るのである。

老後の問題の解決は、教会と教団の課題でもあるが、老後まで牧師が一つの教会に居座ることとはまったく別な話である。教会の意味が共有されていないところでは、長年の牧師の貢献に報いるためには、牧師の老後をお支えするのが人情として当然であるという風潮が幅を利かせると、それを打ち破ろうとする人間は、非情で血も涙もない人間と映って、結局そこまでして、教会改革をすることを尻込みしてしまうのである。

 さらに新型コロナ・ウィルスの感染拡大も一段落して、対面で教会会議や教区の総会が開催されるようになった。わたしが出席したある教区総会の内容の劣化に驚いた。三百人人弱の参加者が二日間会議を開催するわけだが、代位議員の選挙の際には、選挙用紙への記入に、30分以上余計にかかる議員が複数でて、書き終わるまで30分以上、300名の議員が議場で待たされるはめになった。その間、議場封鎖の厳格な適用で、扉を開けることができずに、トイレに行きたいと申し出る議員が複数でた。教会の会議が、祈り、伝道の幻を共有し、伝道協力の神学と志を確かめ合う場所とはならず、まことに惨めな官僚制度のような会議に堕落してしまっているのに、そのことの奇妙奇天烈さに気づくこともないというまことに目を覆いたくなる惨状が現れていた。

一方で、コロナゆえに、教勢と教会予算が低迷し、未来が見通せないところに、日本のプロテスタント教会は来ている。誰も危機意識を表明しないのだろうか。わたしには、理解できないところである。

伝統の誤解

教会の理解の曖昧さは、伝統理解の不明瞭と誤解に結び付いている。教会の伝統という時、多くのクリスチャンは、自分の教会の歴史やしきたり、慣習を思いおこす。伝統と言う言葉が示唆することは、確かにそのような誤解を生みだすのも無理からぬところである。しかし、それでは、本当の意味での伝統理解にはつながらない。

わたしたちの世代は、自分が外国で学び、それを日本に紹介することで精一杯であった。その中で日本という宣教地に、独自の神学的な営みを適用する試みがなかったわけではない。しかし、大部分は、バルトやその後のドイツ神学などの欧米諸外国の神学の紹介にとどまり、バルト神学の影響下の文化否定的な側面を受け継いで、教会が日本社会や文化、宗教と折衝して、自己形成する努力を怠ってきたことは間違いない。文化や社会から孤立して、教会形成と伝道を行うことが教会のアイデンティティになってきたように思える。

 その結果、教会形成が自己目的化して、伝道と文化摂取のダイナミズムが失われ、改革教会を生かしてきた本来の伝統概念が捻じ曲げられて、せいぜい一五0年余の「長い伝統」を持つ教会の「伝統」が、「聖書と伝統」というときの「伝統」に等置されて、その「伝統」の中にいる信徒と牧師が現実と乏しさを補うような誇りとなって、改革を遅らせてきた。小さな教会が、教会の全エネルギーを注いで、立派な教会史を造り上げることが日本ではしばしば行われる。その際も、そこに神の御手を読み取って畏れを示すよりは、自分たちの造り上げた歴史を、自分の教会の伝統として誇示する傾向が、ここそこに存在する。

この傾向は、日本基督教団内の「善良な」教会に行き渡り、神学校もこのような伝統の誤解を広める片棒を担いでいる。神学者の業績や言葉が無批判に受容され、批判のないことがあたかも神学の正当性を示すかのように理解されて、学問的神学の研鑽が疎かにされ、神学と教会の緊張関係ではなくて、相互依存的で没批判という姿勢が共有されて、生ぬるい神学の土壌が形成されてきた。その「生ぬるさ」は、本当は、吐き出されるべきものであるのに、神学校と教会内に保たれ続け、神学と実践の乖離、言葉と行動の矛盾を生み出してきた。

わたしたちの課題は、この乖離と矛盾をいかに克服し、乖離したままの神学の問題性を的確に見抜く眼力を養い、変革と改革に向かうことである。ルターやカルヴァン、ボンヘッファーの神学は、これらの乖離と矛盾を乗り越える試みであったととらえることもできる。わたしたちは、わたしたちの師の神学すら批判の対象として検証しつつ、新しい神学の形成を課題として自覚する必要があるであろう。神学が学としての体裁を保つとすれば、神の言葉に照らして、あらゆる学的営みを問い続けるという批判を常に内包しているところにあることは言うまでもないことである。このような批判は、わたしたちがこれまで「伝統」と呼んできたものを再吟味するところに至るだろう。

伝統概念の再吟味

伝統という言葉は、初代教会より絶えることなく伝えられ、実践されてきた教会の教え、信仰の基準、信仰告白さらには礼拝の慣習などを意味する。聖書を唯一の規範とするプロテスタント教会もまた、これら伝統なしには、信仰共同体として存続しえないと認識してきた1

 新約正典の成立以前には、「信仰の基準」(regula fidei)と呼ばれる、定型化された信仰箇条が存在した。テルトゥリアヌスやエイレナイオスは、聖書諸文書と並んで、父と子の二項、あるいは父と子と聖霊の三項定式の信仰告白を、教会の信仰と儀礼の規範として受け入れ、「信仰の土台」とみなし、この土台の上に教会の礼拝や教理形成を行った。

3世紀末から4世紀にかけて、徐々に新約聖書正典が確定されると、信仰規準とともに、洗礼式を「生活の座」として整えられてきた古代信条が形成され、教会の生の根幹をなすものと認められるようになる。

 古代の信条は、洗礼式における三度の浸水の際に、司祭が受洗者に質問する問答形式の言葉であったが、3世紀に入ると、それが洗礼志願者教育において、一結びの文章となった。一結びの文書化は、「機密保持の原則(disciplina arcani)」と呼ばれて、最終段階で司教から秘義として口頭で伝承された文章の復唱が背景となった。使徒信条やニカイア信条など、それらの最終形態は4世紀以降のものであっても、3世紀前後の各地の古代ローマの洗礼信条に起源を持つことが定説となっている。

 これらの「信仰の基準」や信条は、古代のキリスト教会の伝統のもっとも重要な要素であって、聖書の正典化と諸伝統の形成は、ほぼ平行して行われたのであり、キリスト教草創期には、聖書と伝統が併存して重んじられたことがわかる。

 つまり、伝統とは、聖書とは切り離された、独自の信仰箇条を形成したのではなくて、聖書とともに、あるいは聖書の信仰内容を簡潔な信仰箇条に要約することで、父と子と聖霊なる神を讃美し、その神への信仰を告白する生き生きとした臨場感あふれる言葉と言える。

もちろん、歴史における伝道の生成と展開は、例外や逸脱を生んだことも事実であった。四世紀のカッパドキアのバシレイオスには、教会の慣習を、聖書証言とは独立して東に向かって祈る慣習や十字を切ることなど聖書には記されていない教会の慣習を特別な伝統とみなす傾向が存在し、この傾向は中世のローマ・カトリック教会において増幅されていった2。伝統概念が、古代教会の元来の理解から逸れてしまうことは、現代の日本基督教団においても、様々な形で生じている。

例えば、教会の歴史の長さや「由緒」を伝統とはき違えている人々は、自分の教会が高々百五十年にすぎ無くても、日本ではもっとも伝統あるプロテスタント教会であるなどと紹介する。あるいは、日本基督教団信仰告白を、唯一の規範と考える日本基督教団至上主義者は、一九五四年の日本基督教団信仰告白と教憲・教規こそ、神の摂理によって造られた至上の伝統であると主張し、日本基督教団信仰告白を金科玉条のごときものとして適用しようとする。さらには、そもそも教団は、第二次世界大戦下に、国家の圧力によって外圧によって成立したのだから、むしろ教団の体質の自己批判、戦争責任告白によってはじめて、伝統を持ちうる集団なのだと考える輩も存在する。

『ウェストミンスター信仰告白』には、人間の伝統を退け、聖書のみという原理が示されているが、このことは直ちに信仰告白という伝統を退けることを意味しない。実際、信仰告白は、聖書と言う唯一の規範に規範される規範として、聖書のみの原理を掲げるとともに、ニカイア信条やカルケドン信条などの諸信仰告白の遺産を併せて重んじている。それらの信仰告白を重んじる理由は、自分たちの教会もまた、古代の基本信条が告白するキリスト理解を継承し、公同教会に連なっていると自覚しているからである。

アメリカの長老教会(PCUSA)の教憲に明らかなように、歴史的な信仰告白は、古代から現代にいたるまで、落ち葉の積み重なりのように連鎖して、現代の教会に引き継がれているのである。

わたしたちは、伝統概念を誤解してはいないか、曲解してはいないかを十分吟味して、伝道と教会の形成に進む必要がある。

わたしたちにとっての伝統と聖書

伝統概念が、歴史的にどのように形成されてきたかを念頭に置くと、わたしたちが、聖書と伝統をどのように理解するかが自ずと明らかになるだろう。

第一に、わたしたちは、聖書だけが、教会の教理の源泉であり、規範であるというプロテスタント的原理を今日でも重んじるべきである。しかし、それは、聖書が、伝統と切り離されて解釈されてよいという意味では全くない。「信仰の基準」は、古代教父が属していた教会で説教され、教えられていたキリスト教信仰の要諦を箇条書きのかたちで書き留められて流布していたものであって、諸教会の信仰基準は、地域ごとに多様性はあったものの、類似した内容を持つものだったことは歴史的にも確かめることができる。しかし、信仰の基準は、簡素な文章であり、聖書本文があってはじめて内容を理解しうるものでもあった。別な見方をすれば、伝統は、三位一体の神への讃美頌栄という側面を強く持ち、聖書本文が証言する生ける復活の主へと礼拝者の心を向けさせる力であったと言える。それゆえに伝統は、聖書証言を明確にし、聖霊の働きによって聖書の文字を内的に照明して、信仰者の魂にこの生けるキリストを刻み付けるものと言ってよいであろう。コリントの信徒への手紙(一)15章3節以下の復活顕現伝承は、このことを良く表している。歴史的な教会は、伝統の継承を自覚している教会である。伝統の継承とは、一つの教会が長い歴史を持つことでもなければ、そこで生活した先輩のクリスチャンの信仰の流儀や慣習でもない。伝統の継承とは、生けるキリストの現臨への絶えることのない確信を伝達することに他ならない。

ここから考えれば、わたしたちが、自分自身の説教を見直さざるを得なくなるのは当然である。み言葉の説教が、神の言葉であるキリストの臨在を指し示す言葉となっているだろうかという問いをしっかりと持ちつつ、自分と同労牧師の説教を再吟味することが、歴史的な教会に接ぎ木されながら、豊かな伝道力を回復する唯一の方途と言ってよいだろう。問題は、自分の説教をどう吟味するかということである。実際には自分一人ではなかなか難しい。説教のセミナーや説教塾と銘打った集いも存在する。しかし、教会の実際の礼拝と切り離された場所での説教の演習が、どれほどの説教の向上に資するだろうか。わたしは、牧師の説教の決定的な影響を与えるのは、信徒として、神学生として、伝統を継承する説教を聴き続けることによって、礼拝と不可分の説教の言葉を自分自身のものとすることにあると考えている。つまり、将来伝道者となる神学生教育の要は、神学生の教会と礼拝における指導である。神学校では、これらの指導はほとんどできないと言ってよいだろう。力ある説教者は、教会の礼拝が生み出す。何年も、主日ごとの礼拝を守り、その中で、み言葉の説教を聴くことで、伝道者となる者の言葉が蓄積されていく。言い換えれば、主日の礼拝で説教奉仕をしている者の言葉が、力ある説教者の養成にもっとも重要な要素なのである。

 次に、聖書と伝統は、臨在する生ける主イエス・キリストを讃美頌栄するという点で、共通性とともに連続性を持つことを自覚しなければならない。ヨハネの手紙(一)1章1~3節にあるように、ヨハネが宣べ伝える現実は、単なる使信ではなくて、見て、聴いて、手でさわることができる現実であり、御父と御子の交わりである。御父と御子、そして聖霊の交わりこそ、古代信条の告白する信仰内容と言えるだろう。宗教改革諸信仰告白は、意識的に聖書から古代教会へと継承されたキリスト論を継承することを明示している。聖書と伝統の連続性は、当然のことながら、非連続のうちにある異端説を退けることになる。

 伝統の継承者は、聖書との連続性を持ちながら、神の言葉に基づいて自己を相対化する姿勢を常に保持している。とりわけ改革派諸信仰告白は、自己の信仰告白の文言のうちに、ある種の過ちの可能性を認めており、信仰告白の閉じた自己完結性を否定している。このような姿勢は、改革派諸信仰告白の正典理解と結びついている。聖書正典が教会の制定によるのではなく、神の霊感によるという大前提は、規範する規範としての聖書と規範される規範としての信仰告白の区別を明確にする。日本基督教団にあって、教団信仰告白を信仰告白の頂点と考えて、その変更の可能性を認めない立場は、伝統理解の不十分さを示すものである。

最期に、以上から、諸伝統の連続性の問題を手短に考えてみよう。諸伝統の連続性は、諸伝統の担い手である教会の連続性に存するのではなく、もっぱら聖書において証言される神の言葉であるイエス・キリストにおける神の自己啓示の歴史的連続性に依拠している。この点を理解し、この理解に基づいて、教会理解を整え、歴史に存立する見える教会の神学的意義づけを早急に行うことが重要である。

かみ砕いていえば、諸伝統の連続性は、聖書と信仰告白がともに生ける復活の主イエス・キリストを証言する出来事に依拠しているゆえに、その証言が出来事となっているかの再吟味を教会的な営みとして行いうるかを自己反省する必要がある。

カール・バルトは、『教会教義学 神の言葉Ⅱ/3聖書』で、信仰告白を最終的、決定的に正当なものとして認めるのは、結局聖書であると述べるとともに、そのことは同時に「教会的な権威としての信仰告白の権威の減退を意味するのではなく、むしろそれを打ち立て、確認することを意味している」(邦訳326頁)と主張している。さらに古い信仰告白と新しい信仰告白の時間的な相互限定について、「古い信仰告白と新しい信仰告白は互いにそれらの権威を造り出し、確認し合うことができるし、また互いにそれらの権威を造り出し、確認し合わねばならない」(同330頁)とも語っている。熊野義孝は次のように述べている。「本当の伝統は、決して過去の記憶を唯一の資料とはせず、その逆に、つねにあたらしい決断を強いるようなやり方。そのような伝承作用、によって形づくられる。伝統は過去に向かうよりも将来に展望を拓くものであるとも考えられる」(『教義学 第一巻、37頁』)。熊野の伝統理解は、重要である。残念ながら、日本の諸教会には、この伝統理解は根付いていない。結局のところ、伝統は、教会の歴史と慣習の集積と理解されているにすぎず、帰って教会の礼拝や説教の刷新を妨げている。

  1. 以下の叙述は、拙稿「伝統」『新キリスト教組織神学事典』(教文館)によっている。
  2. ローマ・カトリック教会では、トリエント公会議以降、伝統は、聖書と並ぶ教理の源泉と考えられるようになり、独自の価値を有して、聖書を補うものと理解されるようになっていく。このようなローマ・カトリック教会の二源泉論は、確かに一部の教父に淵源する思想ではあるが、われわれの伝統理解と対立することは明らかである。プロテスタント教会の伝統理解では、啓示に向かう信仰が、神の言に聴くところから生起するゆえに、伝統は信じる対象ではなく、信仰の伝承が真の生命を指し示すという意味で、生命に触れるものと考えられてきた。そこで、伝統は、神の言として聖書の言葉に聴くところに根拠づけられている。その意味で、聖書が「規範する規範」、伝統は、「規範される規範」と呼ばれることもある。伝統概念は、東方教会においては、独自の仕方で積極的な意味を持つ。東方教会では、ローマ・カトリック教会のように、聖書と伝統の法的な位置づけに関心を示すというより、むしろ伝統を、ギリシア教父思想の源泉に戻って、教会における聖霊の生命的な力を意味するものと理解するようになる。教会のあらゆる営みが、聖霊の力の浸透によるのであれば、教会は伝統の力に生きると考えられた。伝統は、聖書と相矛盾したり、補ったりするものではなく、聖書を解釈せしめるキリストの生命そのものであると理解されるようになる。このように東西教会、カトリック教会とプロテスタント教会には、伝統理解において相違があるが、日本では、このような神学的伝統理解の吟味がなされることはきわめて稀で、教会において、伝道概念は、一般的、世俗的な意味で使用されることがほとんどである。伝統についての理解の不足が、日本の教会の聖書理解と説教理解に大きな妨げとなってきた。

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