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スペイン・サンティアゴ 巡礼の道110キロを歩く(巡礼の奥義)

更新日:2023.12.27

松原和仁

スペインのサンティアゴは、ローマ、エルサレムと並んでキリスト教の三大聖地の1つである。サンティアゴが巡礼の道として栄えた源は、9世紀イエス・キリストの使徒の一人であったヤコブの遺骸がその近郊の森の中で発見されたことから始まる。                
 使徒ヤコブは、西暦44 年頃エルサレムで殉教した。資料によると、西暦 30 年頃から 40 年の間にヤコブはスペイン北西方面へ向けてイエスの福音伝道をしたと伝えられている。ヤコブの棺が発見されたことにより、サンティアゴ巡礼の道はヨーロッパを中枢とする巡礼の道へと栄えていった。当初の巡礼の目的はヤコブへの崇拝だった。現代では日常生活から離れ、1,200 年もの歴史を持つ、数百キロのこの道を苦労して歩き通し達成感を味わう。その途上、自分自身の人生の歩みと向き合い、また、信仰と向き合う貴重な時間が与えられる。巡礼の道の始点は、ヨーロッパのいくつもの場所から始まる。フランスからの道は、ピレネー山脈を超えてスペインに入る。現在は長い歴史を経て約10 の道があり、距離は数百キロから1,000 キロに至っている。
 今回、私の主宰するウォーキング冒険塾の仲間10 人と、10 月5日から9日にかけて、巡礼路途上のサリアの町からサンティアゴまで約110キロを5日間で歩いた。1日平均20 数キロを歩き7〜8時間の行動時間だった。毎日200〜300m の高低差の丘陵地をアップダウンするのはかなりきつく…忍耐を要した。しかし、主イエスが背負われた十字架の苦難を思うと、少し気持ちが和らいだ。また、使徒パウロやヤコブたちの忍苦の伝道旅行を想像すると、忍耐力も増し加わった。
 一歩一歩前へと進める歩行連続運動は、生理的に脳内の化学物質ドーパミンの分泌が活性化するせいか、自分の人生の歩んだ道が走馬灯のように浮かびあがり、イエス・キリストの歩まれた生涯とも重なって思い起こされた。イエスの苦難・十字架・復活が歩行運動という身体性を介してリアルに想起され、その時、あゝこれが巡礼する意味なのかとの思いを至した。
 聖餐はパンとブドウ酒を介して、イエス・キリストの体と十字架の死による恵みの想起であり、一方、巡礼は歩きという身体性を通して、イエスの生涯と苦難及び十字架から復活への喜びと恵みを味わう。ただ双方の前提条件として、聖餐は洗礼を受けた者が礼拝もしくはミサの中で与り味わうことであり、巡礼は100キロ及び5日間以上の歩行によって体験することができる。
 歩行5日目、ゴール地点の大聖堂前のオブラドイロ広場前に到着した時の達成感、充実感は言葉では表せない喜び、恵みだった。
  その広場は思わず抱擁する者、バンザイする者、涙を流す者など様々だった。その後、受付でチェックを受け、荘厳な大聖堂の中に入り、ロマネスク美術の最高傑作といわれる石柱の「栄光の門」を仰ぎ、その石の彫像に頭を垂れた。また、礼拝堂奥の中央祭壇に聖ヤコブの胸像を望むことができた。ゴール翌日正午から「巡礼者のミサ」があり、大聖堂にパイプオルガンの荘厳な音色が鳴り響く中、バリトン独唱の讃美歌、聖書朗読、聖体拝受の儀式のあと、圧巻は30メートル大天井から吊り下げられた大香炉が焚かれ、5人の男がロープを引っ張って揺り動かした儀式だった。ちょうど私たちは最前列の席がリザーブされていたため、頭上を50キロもある大香炉が白煙をなびかせて5、6回、振子運動する迫力を身近に体験できた。
 この時の様子を以前、NHK BS プレミアムで観ていたが、まさか自分がそのミサに与るとは思ってもみなかった。
  巡礼道中を思い返すと、巡礼者たちは世界あちこちの国々からやってきていた。会えばお互い「ホラブエン・カミーノ(良き巡礼を)」と交わし、時には「ウェア・アーユ・フロン?(どこから来たの?)」と尋ねた。周りの景色は、牧草地・畑地・ユーカリやオークの森、古びた石造の家々や教会のある小さな村など多様な光景へと移り変わり、飽きることがなかった。
 今回の巡礼の旅は、まさに神さまからのプレゼントであり、感謝のほかない

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