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「信仰の育成―教会・家庭・教育」~バシレイオスとニュッサのグレゴリオスの家庭から学ぶ~
1 バシレイオスとニュッサのグレゴリオス
バシレイオスとニュッサのグレゴリオスは、四世紀初頭小アジアにあるカパドキア地方のカエサリアの富裕なキリスト教徒の家庭に生まれた兄弟である。祖母マクリナは、オリゲネスの弟子グレゴリオス・タウマトロゴスの薫陶を受けた教養人であり、殉教者の寡婦でもあった。彼らの十人の兄弟のうち、三人が司教となり、兄バシレイオスは、後にカエサリアの司教となって、『聖霊論』『エウノミオス駁論』『ヘクサエメロン』などを書き、キリスト教史に大きな足跡を残した。弟ニュッサのグレゴリオスは、兄バシレイオスを敬愛し、影響を受けたが、後に本人の意に反してニュッサの司教に兄から任ぜられる。兄が活動的な教会政治家であったのに対して、弟は『モーセの生涯』などに見られるような神秘的な色彩の強い著作からもうかがえるように、内省的な性格であった。二人とも、姉マクリナとも霊的なつながりを深く持った。そのことは、ニュッサのグレゴリオスが、『マクリナの生涯』を書いて、姉に捧げたことに良くあらわれている。
「カパドキアの三神学者」と呼ばれる、ニュッサのグレゴリオスとバシレイオス、そしてバシレイオスの親友ナジアンゾスのグレゴリオスは、アレイオス派の神学に反対し、381年に成立したと言われるニカイア・コンスタンティノポリス信条の作成に大きな影響を与えた。とりわけ、聖霊の神性の確立と三位一体論の形成に関するかれらの貢献は大きい。しかも、かれらは、キリスト教公認以後の時代に、正統信仰の担い手となったばかりでなく、小アジアにおける修道制の理念と実践を確立するにあたり、大きな役割を果たした。また本日の主題である「キリスト教信仰の育成」という点についても、パイデイアの思想を展開し、さらに「エペクタシス論」との関係で大きな足跡を残した。本発題では、バシレイオスとニュッサのグレゴリオスの家庭と思想にあらわれた「教会・家庭・教育」の問題を概観しながら、それらを今日の課題としてどのように受け止めるかを考察してみたい。
バシレイオスとニュッサのグレゴリオスの家庭を知る最良の資料は、『マクリナの生涯』である。ニュッサのグレゴリオスのこの書物の邦訳は、残念ながら未だない。英訳は、The Father of the Church, St.Gregory, Ascetical Works 中に収められている(ギリシア語原典は、Sources Chretiennes No.178, Gregoire de Nysse, Vie De Sainte Macrine)。この著作は、弟が敬愛する姉の幼少時代そして、霊的な成長、婚約者の死去とマクリナの禁欲的な独身生活の有様、家族の姿を4世紀のキリスト者教養人が描くという意味で、すでに本日の主題と重なってくる。マクリナは、婚約者の死後、自ら進んで禁欲生活に入り、多くの処女たちの指導者となり、母を修道生活へと誘い、兄バシレイオスが、世俗的な修辞学者の道を断念し、禁欲修道士の道へと歩み出すきっかけを作る。その意味で、このカパドキアの家族の霊的な指導者であり、同時に4世紀の小アジアのキリスト教世界を代表する人物と言ってよい。
2 家庭の信仰―主に『マクリナの生涯』から
この一家は、グレゴリオス・タウマトロゴスの信仰を継承しているという強い意識を持っていた。それは神学的伝統だけではなくて、祭儀的慣習のとぎれない伝統をも意味した。また、バシレイオスが、ナジアンゾスのグレゴリオスとともに、アテナイに遊学したことにも示されているように、ギリシア的なパイデイアの伝統を強く受け継いでいる。この点は、イェイガーが明らかにしたように、初期キリスト教の重大な特質を示している。
しかしながら、このような伝統の継承の自覚は、それとは正反対の、伝承の断絶の意識と相即関係で結ばれていた。バシレイオスの『聖霊論』15章35節では、キリストの死を模倣すること(洗礼を受けること)は、過去との断絶を含むはずであるという考え方が見られる。「では、どうすれば、その死と等しいさまになるのか。洗礼によって、キリストと共に葬られることによる。それでは、埋葬はどのような仕方で真似るのか、また、その模倣からどうなるのか。まず最初の必然的な帰結として、それまでの生が断ち切られる」(邦訳『聖大バシレイオスの『聖霊論』』山村敬訳、107頁)。さらにバシレイオスは、『書簡223』で、セバステノのエウスタティオスが、「神によって愚かにされた知恵の教訓の虚しさに多くの時間を割いた」ことを指摘している(バシレイオスの書簡のこの部分の英訳は、The Fathers of the Church, vol.28にある)。この書簡で、バシレイオスは二つの自伝的な回想をめぐらせているが、その一つはギリシアの古典研究の拒絶であり、もう一つはキリスト教の伝統内で少しずつ成熟する経験をしたこと、しかも家族の影響を受けたことの告白である。
バシレイオス研究者は、このようなバシレイオス自身の口から出てくる言葉が、主として初期のものではなく、後期のものであることに注目している。Philip Rousseau は、バシレイオスが後期になって、家族の役割の認識を積極的に行ったのは、バシレイオス自身がカエサリアの司教として働きながら、ヴァレンス帝によって、ティアナに新しく造られた対立司教座との対立関係に巻き込まれたこと、並びにその時代の教会が、教理的な誤りに陥る危険に直面したことと無関係ではないと推測している(Basil of Caesarea,1994,p.23f)。つまり社会と教会の混乱が深刻化すればするほど、エウスタティオスらと結んだ過去を拒絶し、家族の中に保たれた伝統への一貫した忠誠を保つことによって、正統信仰の活ける力に与ろうとしたのである。
このようなバシレイオスの姿勢を、自己保身という動機のみを見て、消極的に捉えることはできない。それでは、この家庭の信仰とは何であったのか。『マクリナの生涯』の中に次のような一節がある。「むしろ、彼女たちの唯一の関心は、神であった。常に祈りが捧げられ、日毎夜毎に讃美がとぎれることなく歌いつがれた。これが、彼女たちにとっての[良き]行為であり、休息であった」。ここで「彼女たち」と言われているのは、マクリナとともに修道生活に入った処女たちのことである。マクリナの祈りへの姿勢は、母を彼岸的な生活へと導くことになるほど、この一家全体のの姿勢となって行った。
しかしながら、このような祈りと感謝の生活は、彼女が直面した現実の苦しみや困難から逃避を促す生活ではなかった。反対に、『マクリナの生涯』は、マクリナとその一家が襲い来る迫害の艱難によく耐え、財産が没収されても、それをさらに盛り返して一家が繁栄したことを記録している。「わたしたちの父方の両親は、キリストを告白したために、財産を奪われた。母方の祖父は、皇帝の逆鱗に触れ、殺害され、すべての財産を他の人々に譲り渡した。にもかかわらず、かれらの生命は、信仰ゆえに高められ、その時代のどの人々よりも大きな名声を勝ち得た。後になって、彼らの財産が子供の数に従って、九つに分割されたが、それぞれが増加し、子供たちは両親よりもさらに繁栄した。マクリナは、自分に割り当てられた相続財産を受け取らず、すべてを神の戒めに従って、司祭の手に渡した」。マクリナは、このような家族の試練と艱難の経験を物語る際に、「神への感謝」に集中することを決して止めなかった。「彼女が、私たちの両親の生涯の中で強調していることは、彼らが、その繁栄ゆえに同時人に優っているということよりも、神の恩恵によって、強められてきたのだということであった」。
マクリナの禁欲生活は、世俗世界へ背を向ける家族を背景としてなされたのではなく、徹底して世俗へと関与する家族のただ中で、実行されていった。ニュッサのグレゴリオスは次のように書き記す。「神の摂理によって、彼女は神に仕えるために、手を休めなかったし、快適な生活を送るために、男性の助力や何らかの機会を求めることはしなかった」。
このようなマクリナの姿勢は、家族の内部で起こった悲しみや試練に対しても同様であった。「マクリナは、[家族の死(具体的にはナウクラティウスやバシレイオス)に際しては]敗北したことのない競技者のように、決して不幸に圧倒されることはなかった」。
3 ニュッサのグレゴリオスとバシレイオスの家庭から読みとれること
第一にこの一家が、唯一の関心を神におく点である。この神は、三位一体の神であり、常に祈りと讃美が捧げられる対象である。グレゴリオス・タウマトロゴスを師と仰ぐ伝統と誇りの中に祖母の時代から生きていた。その意識は、時代が混迷の度合いを増せば増すほど強くなっていったようである。バシレイオスは『聖霊論』の1章2節で、「私たちにとって問題なのは、人間の本性にとって可能な限り、神に似ることです。神に似ることは、知ることなしにはありえず、知ることは教えにもとづいています」(邦訳52頁)と語っている。神への関心は、神のかたちに自分たちが造り上げられ、そのように現実に生きることに他ならない。
第二に、ギリシア的な教養を教育の基礎としながら、決してそれを絶対化することのない家庭である。いやむしろ、福音の光に照らして、常にそれを相対化する視点を家族が共有している。このことは、ニュッサのグレゴリオスの著作の随所にあらわれている。『モーセの生涯』(邦訳は『キリスト教神秘主義著作集1』谷隆一郎訳)には、「異郷の教育とはまさに石女なのであって、言わばつねに孕みの陣痛の苦しみのうちにあっても、決して真に子供を産み出すことがないのだ。そうした[異郷の]哲学は、自分の長い陣痛に対して、或いはそれほどの労苦に対して、それらに見合うだけのいかなる実りを示したことだろうか」(11)と記される。確かにイェーガーが言うように、ニュッサのグレゴリオスとバシレイオスの思想の土台には、ギリシア的なパイデイア(全ギリシア的文学の集成)が存在する。(例えばバシレイオスの『聖霊について』は、プロティノスのエンネアーデスの霊魂論を下敷きにし、グレゴリオス・タウマトロゴスの信条に沿ってそれに修正を加えたものである)。しかしながら、イェーガーも認めるように、キリスト教的人間の形成、すなわちニュッサのグレゴリオスの言う「モルフォーシス」は、聖書を「律法」としてではなく、教育と見ることによって、絶えざる聖書研究の結果達成されるものである(イェーガー『初期キリスト教とパイデイア』112頁)。この点は、バシレイオスにもあてはまる。「もしあなたが、聖書の慰めを持っているなら、あなたは、あなたなお義務を悟らせる手助けをするために、わたしたちもまた、誰か他の人も必要とはしないでしょう。なぜなら、あなたが聖霊から受ける指導は、都合の良いことに十分だからです」(『書簡』283)。ここに、ギリシア的パイデイアとカパドキア教父のパイデイアの質的な相違が見られる。
第三に、このような質的相違は、さらに彼らの聖霊理解に由来する。ニュッサのグレゴリオスにおいても、バシレイオスにおいても、聖書に働く聖霊自体が、神的な教育の力なのである。聖霊は、常に世界に存在し、その道具とでも言うべきもので、人間を通して語りかけるのである。彼らは、プロティノスの霊理解とは異なって、三位一体論的な聖霊理解を確信する。聖霊の実在性は、洗礼の際の三位一体定式を根拠として論証され、教会の慣習との密接な関係から、主張される。聖霊を持つ者のみが、聖なるテキストを真に解釈することができるとともに、聖霊の働きによって礼拝における三位一体の神の実在の経験が与えられる。こうして、ギリシア的なパイデイアを許容しつつ、聖霊論においてそれとは決定的に断絶するのが、カパドキアの教父の一つの特色となる。しかも、聖霊の神性は、ニカイア信条の第三項「わたしたちは、主であり、命を与える聖霊を信じます。聖霊は、父〔と子〕から出て、父と子とともに礼拝され、あがめられ、預言者を通して語ってこられました」に独自の仕方で表現されている。
第四に、『モーセの生涯』の以下の言葉に、このカパドキアの一家の信仰、そして教会・家庭・教育についての集約された考え方を読みとりたい。
「さて、エジプト人の王女と共に過ごして、彼らの名誉に与っていたと思われる期間を終えた後に、モーセは本性上の母の元に帰らなければならない。もとより、歴史記述の告げるところによれば、モーセはファラオの娘に引き取られていたときにも、実は真の母の乳によって糧を与えられていたのであるが、思うに、このことは次のことを教えている(出2:7~9)。すなわち、実際上教育を受けるに際して、われわれは異郷の教えに関わってゆかざるをえないとしても、共同体・教会の乳によって養われることから決して身を離してはならないのだ。その乳とは教会の法と諸々の慣習とであって、魂はそれらを糧として養われ、かつ成熟せしめられる。かくして、魂は高みへと登りゆく内的契機を与えられるのである」(12)。